三浦半島

初めてこの半島に向かったのは学生時代だった。横須賀の

米軍基地と隣接する商店街は異質な景色だった。ここを舞台に

文学・ドラマ・音楽が発信されていたのかと感慨に耽る。

次に記憶があるのは 就職して1年目に三浦海岸の民宿に泊まった。

7月だったため行き帰りの車でみたスイカの収穫が終わった

段々と連なる畑だった。赤茶けた畑と青い海のコントラストが

印象に残った。

城ケ崎 三崎港 観音崎 浦賀 三笠公園

鎌倉や金沢区八景島シーパラダイス)も半島の境界線上だと思うけど

最近印象的だったのは、観音崎に向かう時に見た浦賀水道対岸の房総半島の

近さと海峡を進む船舶の姿であった。穏やかな海は広い川のように感じた

改めて海は人を隔てるものではなくむしろ人を結びつけるプラット

ホームかと思った。

 

 司馬遼太郎の「三浦半島記」の世界にもはまった。三浦氏を中心し

東武士たちの生き様(死に様)は江戸期の武士たちとも異なる凄まじさ

を感じる。侍たちが政治や司法に係りだす黎明期とういうかカオスの中で

問題解決の一つの手法が戦であり私闘であった。三浦氏や北条氏の滅亡が

この半島の中で展開されてきたのとおもうといろいろな怨念が浸み込んだ

土地でもあった。

最近出版された「承久の乱」を読んでいるが、幕府草創期の思惑やトラブル

朝廷(印)との駆け引きなど日本の歴史を動かした震源地にのめり込んでみたくなる。

伊豆半島

半島と聞くとまず思い浮かべるのが伊豆。東海道から太平洋に突き出た山並みといった感じか。

風光明媚な自然や豊富な温泉もさることながら歴史や文化の厚みもある。

何度言っても見どころがあるところ。もちろん箱根と組んだ国立公園のお墨付きも大きい旅行先のトップリストにはいるだろう。

3面海に囲まれながら山(天城)あり滝(浄蓮)あり、わさび田ありの1粒で7色楽しめるアメージングランド。

自分が特に気に入っているのは、南伊豆から西伊豆にかけて。樹木が照葉樹林で南国風。海からの強風で樹形も低く傾く。暖かさも含め「南に来た」と感じさせてくれる。

そこに道路も鉄道もつながっているのだから引き寄せ力は抜群。島っぽい地続き。よくぞ日本列島ぶつかってくれた❣ 

半島のターミナルポイントは「熱海」「伊東」「下田」「三島」特に熱海は丹奈トンネルが完成してからは東海道と伊豆の分岐点、半島の切り口となっている。というか実質半島ではなく、半島らしさというにはやはり伊東からに思える。

半島とくらし

風光明媚な半島に惹かれることも多いが、生活や文化の視点でみるのも面白い。

「半島暮し学会」という組織があるらしい。

日本の中で半島の変遷や半島のもつ、構成する多様な要素・価値に光を当てていこうというサロンのようだ。

歴史的な位置づけをみても今でこそ田舎のはずれのように見えるものの、物資の輸送が舟運中心であった頃は半島の港はターミナルやプラットホームになっていた。また漁業・水産業でも拠点でもあり古より情報や文化が流れ込む交流地ともなっていた。

しかし陸上交通網(鉄道・道路)が整備され物流の主役が列車やトラックになるとその機能は衰え、むしろ不便な土地、利用価値が低いエリアとなってしまったようだ。

半島なんちゃら

ネットで「半島」を検索してたら 「半島振興法」あるものがあることを知った。

色々共通した問題があるということだな。

日本の半島一覧表なるものがあって、紹介されいていた半島が59あった。

紀伊半島の面積は・・という無謀な問があったが、やはりはっきりとした

線引きはできない。漠然と和歌山・奈良南部・三重南部としているようだ。

 

半島についてトピ

壁に貼った日本地図を数分ながら毎日見ている眺めている。

海岸線をなぞると半島の突起とえぐられた凹みような湾が続く。

山あり沼ありデコボコ列島ジパング

ところで半島って何だろう。日本語だけど日本人が作った言葉なの。

半島の境界線・クビレってどこだろう。

ちなみに俺が行ったことの半島は、伊豆半島 真鶴半島 能登半島 房総半島 三浦半島 渡島半島 知床半島 根室半島 男鹿半島 紀伊半島 志摩半島 大隅半島 薩摩半島 島原半島 (ちばらき半島)かな。

行ってみたいところは( ^ω^)・・・